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日本テレビのディレクター・プロデューサーによるスペシャル座談会

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土屋 敏男(つちや としお)
日本テレビ放送網 制作局 専門局長
LIFE VIDEO株式会社 代表取締役

1956年生まれ、1979年入社。ディレクター、プロデューサー。主な作品は「天才・たけしの元気が出るテレビ!! 」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!! 」など。「進め!電波少年」(電波少年シリーズ)のTプロデューサーとして知られる。

水田 伸生(みずた のぶお)
日本テレビ放送網
制作局 専門局長

1958年生まれ、1981年入社。ディレクター、プロデューサー。主な作品は「サイコドクター」「恋のバカンス」「冬の運動会」「Mother」「さよならぼくたちのようちえん」「Woman」、映画「舞妓Haaaan!!!」「謝罪の王様」など。

櫨山 裕子(はぜやま ひろこ)
日本テレビ放送網
制作局 専門局次長 統括プロデューサー

1960年生まれ、1983年入社。ディレクター、プロデューサー。主な作品は「金田一少年の事件簿」「ハケンの品格」「ホタルノヒカリ」「怪物くん」「きょうは会社休みます。」など。

――高校生の頃、将来についてどう思っていました?

土屋 高校生の頃はいわば引きこもりで、いい大学、いい会社、いい人生というものに疑問を持ってたね。

「何のために大学に行くのか」と思って有名な社会心理学の先生の本を読んだりして、 俺は「いい大学に入りたいために勉強するんじゃない、社会心理学を学ぶために大学に行くんだ」と自分の中で割り切った。

水田 僕はコックになりたかった。「コックの勉強をするためにフランスに行く」と言ったら、お袋にワンワン泣かれてね。
弱ったよ。それでもなりたかったけど、たまたまうちの高校が演劇の有名校で、担任だった顧問の先生から「4年間遊べるおもしろい大学がある」と聞いて行くことにした。

櫨山 高校生の頃は何をしていいかわからなかった。実家は鹿児島で市役所か自衛隊にでも行こうかと漠然と思ってましたけど、 親に「大学には行って」と言われて、「東京に行ける」と思って大学に入った。


――テレビ局に入ったのはどうしてですか?

水田 大学では演劇にハマった。大学4年生の時に演劇の道に行きたいと言ったら、またお袋にワンワン泣かれた。
仕方なく芝居に近い職業としてテレビ局に入ったんだ。

土屋 おっかさん、要所、要所で泣くね(笑)。

櫨山 私も大学では、たまたま舞台を見てハマった。4 年間演劇のスタッフをやってきて、さて就職をどうしようと思った時に、自分が打ち込んできた延長線上にテレビがあったという感じですかね。

土屋 大学では、学園祭の実行委員みたいなことをやって、3年生の時に「クラブ対抗歌合戦」を企画した。
自分で企画して人に楽しんでもらうことを経験したことが大きくて、就職を考えたとき「何かな」と思ったらテレビ局 だった。

水田 学園祭のコンサートであろうが、学生演劇であろうが、要は人が喜んだり、拍手をしてくれたりすることが気持ちよかったんだよね。 それが今の仕事につながるんですよ。

――順調にここまで来た感じですか?

土屋 「俺、向いてないかも」と思ったこともあるよ。
20代後半でテリー伊藤さんの下で、「天才・たけしの元気が出るテレビ?」をやって、独り立ちしたのが金曜午後7時の「ニッポン快汗マップ ガムシャラ十勇士?」とい番組だったんだけど、 視聴率は1.4%だった。1.4だよ、「向いてないな」と思ったね。
それでいったん編成部に行かされて戻ってきて、ウッチャンナンチャンがやっていた枠が空くから何か持ってこいと言われて、「進め!電波少年」の企画を持っていった。
そこからだね。水田は最初に金を使いすぎたことがあるんじゃない。

水田 制作費を使いすぎて大赤字を出した。先輩に「ずっと働いてもお前の退職金では返せない」と怒られてね(笑)。 でも34年間やってきて一度も辞めようと思ったことはないね。

――テレビの仕事の魅力ややりがいは何ですか?

櫨山 先ほどから言われてますが、人に喜んでもらうことですね。
そのために頑張るのは苦にならないという感じですね。自分をいじめることになっても嫌じゃないですよね。

水田 仕事をしながら学べるというか、いろんなことを発見できるし、自分のこともわかる。知らない人にも会えしね。

土屋 そう。何といっても想像できない人に会える。僕で言えばコメディアンの人とか脚本家とかね。
水田も、明石家さんまさんとずっと一緒にやっていたけど、この人たちのすごさというか人間力の高さは一緒に仕事をしてみないと分からないと思う。

水田 それに加えて、人と一緒になって作っていくプロセスがおもしろいし、わくわくする。
そして結果に喜んでもらえる手応えがあると、辞められなくなりますよね。

――番組制作はカメラマンや照明さんなどチームでの仕事ですね。

水田 僕は映画をやった時に中山光一さんというカメラマンと出会えたことでテレビドラマの演出方法を変えることになった。
中山さんは、「テレビの受像機や送出方法などハードが大きく変化しているのに、テレビドラマの撮影方法は昔から変わっていない」という話を毎日のようにしてくる。
当時は撮影した映像の再現性が低かったから、現場ではあまりこだわった絵作りはしないのが普通だったけど、たとえ再現性が低くても、こだわった絵作り色作りをするために、撮影方法を変えたんですよ。

櫨山 実は絵を撮ることは、カメラマンの人柄が出る、人間的な作業だと私は思いますね。
同じ1時間のドラマを撮るにせよ、だれが撮るかによって全く違ったものになるのよ。

水田 それは照明や録音、美術スタッフにもあてはまる。チームの一つのピースが異彩を放つと、セットの作り方や衣装やメイキャップまでも変わってくるんです。
一人の傑出した能力が番組の作り方まで変えてしまう。

櫨山 照明だってライトの当て方は無限大の選択肢がある。ドラマの場合はシナリオを照明の人がどう解釈するか、どういう風に見せていくかで変わってくると思います。

土屋 確信していることに柔軟であるということかな。 それでいてこだわりというか、「俺はこう撮りたい」とかね。お互いプライドにこだわってやる現場が理想でしょう。
30 代の頃技術の先輩と喧嘩もしたけど、その後すごく仲良くなりましたね。

水田 「変えてやろう」っていうくらいじゃないとね。そういう意味では「進め!電波少年」の見せ方は斬新だったね。

土屋 たとえば猿岩石のヒッチハイクの企画があったけど、「Hi8」という当時の小型カメラがないとできない企画なんです。
あれだとディレクター本人と猿岩石の3人でヒッチハイクできる。 革新的な企画だったけど、実は非常に技術的に新しいことがあって初めて成立したものです。

――今、本校も女性が多くなっています。女性が働く場としてどうですか。

櫨山 今、AD(アシスタントディレクター)でも女性が多いです。 あまり私は「女だから」というストレスを会社で感じたことはないですね。

土屋 きめ細かいというか、粘り強いという点で言うと、女性の方が向いているかもね。

櫨山 女の人の方が持続力があるかもしれませんね。
あと視聴者に近いということは言えるかもしれません。
働き方で言えば、いろいろな職種があってそれぞれが専門職なので、一つ何か自分の仕事を確立できれば定年はないに等しいですよ。
手に職をつけるという意味では悪くないと思います。

土屋 編集も昔はテープを見なければできなかったけど、最近はデータのやりとりでできるじゃない。
だから編集技術を持っていたら、家で子どもを育てながらでもできる新しい働き方だと思います。

――テレビの将来はどうなりますか。

水田 今年、テレビに4K、8KどころではなくスマホのOSを組み込むと言われています。
いわばテレビがそのままスマホになるというか、スマホで育ってきた世代がテレビのあり方みたいなものを新しく作る時代になると思う。
今家庭で見ているテレビがゴールではなく、まだまだ姿を変えていく新しい分野だと思う。
新しい才能が集まって来るのには、一番良いところじゃないですか。

土屋 一方で、YouTuberと言われる個人で映像を撮って自分で配信することでお金を稼ぐ人たちが出始めている。
「組織の中でやるよりも、いいんじゃない」という流れもあると思うけど?

水田 それは全然OK。そういうところで才能が育つ可能性もあるし。
ただ、個人には限界があることは、優秀なら優秀なほど気づくと思うんですよ。
別の才能と結びついたほうがより良いものができるとか、YouTubeに関心のない人も半数いるわけだから、もっと深めていくには、どうしたらいいか、優秀なら気づくんじゃないかな。

櫨山 何でも最初にやった人はすごいと思います。
ただ、それをある種のビジネスとして確立していくか、まだちょっとあやふやかなと思いますね。
ビジネスとしては、一定のクオリティーのものをお客さんに提供し続ける必要があるので、「そういう人がいるのかしら?」という感じですね。

――テレビ業界を目指す高校生は今何をやっておけばいいですか。

水田 あまり仕事のために勉強しようと思わなくても、せっかくの青春真っ最中の高校3年生なんだから、恋もいいし友達とつるむのもいい。
その時楽しいと思えることが必ず仕事に向かった時に引き出しというか、材料になる。大事なのは、記憶に残る1年を過ごすことだね。

櫨山 そうですよね。仕事になる前に見たものはいつまでも覚えているしね。好きなことを楽しむことかな。
私は何かに打ち込める人に来てもらいたい。不器用でもいいから何かに打ち込むのが得意な人がいい。

――昔観た映画で記憶に残っている1本は?

櫨山 私は「メリー・ポピンズ」かな。

土屋 ディズニーの原点だよね。俺もこの歳になって初めて観たんだけど、びっくりするね。

水田 高校生のころは、「卒業」は見ておいてほしいかな。

土屋 青春映画ってその真っ只中で見ると鮮烈だもんね。俺は「アメリカン・グラフィティ」を観て自分と似たような若者像が鮮烈だったな。